とりあえずその2。


 これはあくまで自分の考えなわけですが、「響鬼」という作品を語る上ではプロデューサーやメイン脚本家の交替は重要な問題であるのですが、「響鬼」という作品を見たり解釈する上では全く意味のない事だと思ってます。

 似ているなぁと思ったのは、事の真偽は同じく不透明なままの「sakusaku」のマペット降板騒動で、しかしアレが全くもって忘れられないのは、その直後に番組を根幹から支えていたスタッフ(ゴイゴイさん)の急死という事態。あの時は本気で悲しくて泣いた。

 そういう何かもう本当にどうしようもないモノを見ちゃうと、「響鬼」における問題はどうにかなりそうなんじゃないの? と錯覚してしまいそうになるけれど、それはとても危険な錯覚であるとも思いました。
 これは出版に関わる仕事をしている自分の経験としての感覚なわけですが、テレビに映るものに影響されたり絡んでる他の分野のなんと多くて複雑なことか。その中であらゆる分野の利益をフォローしつつ、視聴者が喜ぶ要素やメッセージを発信し、かつ自分たちの存在意義も伝えなければならないこと、全部ひっくるめて辻褄あわせなければいけないことの何と難しい事か。
 変に情報が入ってくると、色々な事を作品に求めたり主張したりしてしまいがちですが、本当に語りたいなら色々な事を考えながら話すべきだと思います。いや誰に言っているわけでもない独り言。


 とりあえず何か色々最終回までモメてたらしいけれど、全体を通して一年楽しめた喜びは大きい、そして終焉を迎え、胸にドカンと空いた寂しさは何物にも埋められない作品のひとつになった「仮面ライダー響鬼」。